トップページ > 三浦按針について > その生い立ちから日本漂着までの足跡

三浦按針について

第1回 その生い立ちから日本漂着までの足跡(2009.8.2公開)

ジリンガムの風景(現メッドウェイ市) ジリンガムの風景(現メッドウェイ市)  三浦按針としても広く知られているウィリアム・アダムズがイギリスのケント州ジリンガムに生を受けたのは、1564年のことでした。ジリンガムには、漁師や船乗りが多く、アダムズが後に造船を学び、船乗りとして世界を駆け巡る生涯を送る環境は充分に備わっていました。
 12歳でこの町を出たアダムズは、ニコラ・ディギンスという有名な造船家に弟子入りし、ここで12年間奉公をしている間に、造船術・航海術を学びました。年季の明ける頃にはすでに優秀な航海士となっていたアダムズは、リチャード・ダフィールド号の船長に命じられ、当時スペインの無敵艦隊と交戦中のイギリス艦隊に食料や弾薬を運んでいました。
 1589年、メアリ・ハインとロンドンで結婚しましたが、バーバリ貿易会社に就職し、この後10年もの間、北アフリカとイギリスを往復することとなったため、二人の時間を楽しむことなどはほとんどありませんでした。

リーフデ号の航路 リーフデ号の航路  一攫千金を夢見るアダムズは、オランダ船が東洋に向けて遠征隊を出すことを聞き付け、弟のトマスとともにオランダに出向きました。1598年、アダムズはリーフデ号ほか4隻の商船団に航海士として乗り組みましたが、その航海は悲惨なものでした。マゼラン海峡では極寒の季節にぶつかり、太平洋上では猛烈な暴風雨に遭うなど、苦難の連続でした。
 リーフデ号が大分県の臼杵に着いたのは漂着ではなく、来航であったという意見もありますが、運良くたどり着いた場所が、航海の途中で目的地とした日本であったという表現が正しいのではないでしょうか。

『三浦按針と横須賀』(横須賀市企画調整部文化振興課)より